「完全な『パクリ』レポート」を作成せよ──大阪市大の課題、その狙い 常識や先入観を逆手に - ITmedia ニュース
学生に対する単なる戒めだろうぐらいの気持ちで読んだら全く違った。
興味深かったところを抜粋。……ほとんど全部になった。
私が学生のころ、知識は「紙の本」という外部に存在するものでした。しかし「分からないことがあればググる」ことが日常化した昨今の学生にとっては、ネット環境とスマートフォンは、膨大なネット上の知識をある意味で自分の傍らに常に存在させているとも言えます。コピペレポートが大学教師の間で問題になり始めたのは00年代の初頭ではないかと思いますが、メディア環境の変容が生み出した必然的な対応、という側面もあろうかと思います。であれば、それを前時代のメディアモラルに則って禁止するよりも、逆手にとってみる方が生産的ではないか、という意図がありました。
――引用元はどのようなメディアが多いのか。
もちろんインターネットからが多いですが、書物や雑誌、新聞も多いです。全体の比率でいえば7:3くらいの印象でしょうか。……とはいえ、TwitterなどのSNSはまだほとんどないですね。「まとまった意見の中から一部を引用する」という先入観や発想が強いのかもしれません。
例えば京都大学では、自分が書きたいことを自由に書いて、辞書や辞典など適当な場所から1文字単位で引用元を記した徹底したレポートがありました。限られたルールを逆手に取っていかに自由に遊ぶか――普通はこんな煩瑣な作業をやる気は続かないと思うのですが、「知性への挑戦」と受け取って取り組んだのでしょうか。
……年々洗練され、続けて読むとひとつながりの論旨をもった完成度の高いレポートとなっているものが増えてきている印象があります。……論文や書物のデジタル化、各大学の図書館データベースの充実など、検索できる学術的文章が増えていることも影響していると思います。
実際にやってみてわかったのは、自分でオリジナルな文章を書かせるレポートよりも、「他人の文章を10カ所以上探す」課題は、論じる対象についての先行する議論を学生が真面目に読む効果があったことです。
「パクリレポート」と同時に、作成した感想も提出させているのですが、「自分と違った意見がこれだけあることがわかった」という意見がほぼ必ず出てきます。自分の意見に合った環境を作ることが容易になり、他者の対立する意見を拒絶する傾向がある中で、好む好まざるに関わらず強制的に「他人の意見」を探させるのは、自分の意見のオリジナリティがどこにあるのか、をマッピングする効果を生んでいるように思います。
「文章を切り刻むことに罪悪感を覚えた」という言葉が散見されるのも興味深いです。まとまった意見を受け入れること、他人の意見を尊重してコミュニケーションすることが学校教育の中で当たり前のように前提とされていることを強く感じます。あえてルールを壊すことが知的冒険や新たな気付きになればと思います。
どこかで見たような言葉で思いつきを適当に書き上げる方が多分簡単ですが、教育的には意味がないですよね。
ですが、もう少し深く考えると、我々が使っている「言葉」自体が、他人が生み出したものを模倣しているわけです。全く他人に依存しない自分独自の言葉で意見を述べて理解されることはありません。では「オリジナルなもの」とは何か、辞書を見れば1文字ずつ全て載っている他人の言葉を組み合わせる「自分」とはどのような形で「オリジナル」なのか、そういった次数の高い問いにもつながると思っています。