奄美群島と養蚕

今ひとつ伝聞情報でしかないのだが。

奄美地方での養蚕の歴史は古いとのことだ。
歴史と沿革 - 本場奄美大島紬協同組合

薩摩藩支配下では繭は専売制を取っていたとか。
「経済の近代化」1: 与論島クオリア

また、昭和30年代までは各地で多くの桑が栽培されていたという。

徳之島の話題・情報

ティダマンデの徳之島
クァギィヌミ(桑の実)
昔は子供達がおやつ代わりに、口の中が紫色に染まるまで食べるものだったが最近は桑の木自体が少なくなった。
昭和30年頃、養蚕が盛んな頃、中の種を搾り出すと盃一杯10円で売れ、子供のいい小遣い稼ぎとなった。

徳之島じじとばばのホームページ - クワの実

先日の散歩時、クワの実が色づいているのを発見しました。

 クワの実が色づいていた。もう初夏なんですね!昔、養蚕を盛んに行った頃の名残で、島は結構桑の木が多い。
 じじの幼少の頃は、この実を、たくさん食べて指や口の周りを赤紫色に染めていたことを思い出した。

しかし、昭和44年頃には養蚕業は急速に衰えていく過程にあったようだ。
衆議院会議録情報 第061回国会 地方行政委員会 第10号
この委員会では奄振の事業内容について突っ込んだ質疑がされていて面白い。

養蚕というのは人口、戸数がここ五、六年の間にどんどんどんどん減っておるわけですね。三十七年に二千百四十六戸ありましたのが三十八年には若干減り、三十九年には約五百戸減って千六百五十六戸、四十一年度には八百二戸と大幅に減ってしまっておるわけですね。したがって、桑園のほうも、桑畑のほうも三十七年に百人十七ヘクタールが四十一年には百四十七ヘクタールと四十ヘクタール減っておるわけですかう、繭のほうも三十三トンが二十三トンに減っておるわけですね。

※「ですかう」は「ですから」だろう。OCRでデジタル化しているのだと思う。他に所々意味不明な箇所があるし。

いまの開拓。パイロットで非常に大規模な養蚕をやろうとしておりますのは、奄美本島の大和村という村で、奄美群島の中にそういうものが計画されているわけであります。ただ、あの土地でできます大島つむぎというのは現在約十九万五千反くらいございまして、それに要します糸は約百トン余り必要でございます。ところが、現在の島内で生産される繭は非常にわずかでございまして、これかうできる糸は約四トンくらい。そういう意味では、できるだけよけいつくることが必要であるということはわかるのでございますけれども、現在では生産性が非常に低いので、いま申し上げましたような、非常に規模の大きい本格的な養蚕を農家がやろうという意欲が高まってきますと、だんだんと生産力がふえてくるのではないかというふうに思っております。

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徳之島に行った折、里帰りから神戸へ戻るおじいさんと空港まで一緒になった。そのおじいさんの曰く、徳之島にはかつて製糸会社が…片倉だったか鐘紡だったか…が入っていたというのだ。
その話を聞いて意外に思い、詳細を知りたいと思ったのだが、ネット上では関連する資料は見つからない。養蚕が全国的に行われていたのは知っていたが、その生産・流通の実相についてはあまり考えていなかった。鹿児島県本土でも養蚕は盛んだったのだが、繭はどこに運ばれていたのだろうか。大手製糸業者にとって繭の調達と品質の安定は確かに大問題だったろうが、その調達範囲はどの地方まで及んでいたのだろうか。また、奄美地方の養蚕業は、大島紬とどの程度結びついていたのだろうか。このおじいさんが言ったように、地場産業との関わりではなく、本土の大手企業の調達網に組み込まれていたのだろうか。
このあたりのことについて記載のある資料がないかと思っているのだけれども…。
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追記(12/07/05(木), 16:06:30)
 
先だって沖永良部島に行き、和泊町の歴史民俗資料館を見学した。そこで和泊町史を閲覧したところ、離島での養蚕について若干の記述があった。
明確に覚えていないのでまとまった記述は避けるが、本土大資本が奄美諸島で繭を仕入れていたということは余りなさそうだなあという印象。以下うろ覚えながら箇条書き。
離島でも養蚕自体はかなり古くから行われていた。
どこから伝来したのかは諸説あるようだ。
養蚕が拡大したのは大島紬の生産拡大と大きな関係がある。
当初は大島紬の原料調達は奄美諸島で行われていたが、ほどなく原料不足に直面、中国(?)からの輸入繭が多く入るようになり、地元の養蚕業は打撃を受けた。
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沖永良部島の桑の木は「シマグワ」と言い、内地の桑とは種類が少し異なるそうだ。本来自生していたとも、ずっと昔に移入されたものだとも聞いた。養蚕業では桑園があったと思うが、そこで利用されていた品種と同じかどうかは聞かなかったし、かつての桑畑が荒廃し、野生化した種があるかどうかも確認していない。
今、島では、この桑の葉を粉末加工して健康食品として売り出そうと商品開発を行っている。お茶、ジュース、お菓子の添加物など、様々な可能性を模索しているようだ。
高齢者には、桑の葉のお茶は自家製の健康飲料として飲んでいたという人もいるそうで、言わば「埋もれかけた地元の智恵」をよみがえらせようとしているとも言えるだろう。
率直に言ってこの試みの見通しは厳しいだろうと思うけれども、何とか長い目で持続可能な事業にしてもらいたいと思う。