獺口浩一「地域再生と地方財政問題―持続可能な地域づくりと財政活動のあり方―」

獺口浩一「地域再生地方財政問題―持続可能な地域づくりと財政活動のあり方―」
『りゅうぎん調査』(りゅうぎん総合研究所)第468号(2008年10月号)、8-17頁
http://www.ryugin.co.jp/ryugin_souken/s_chosa/PDF/2008/2008_10.pdf

I.はじめに

趣旨:少子高齢化と人口減少のさらなる進行とグローバルな地域間競争の時代に、地域再生と持続可能な地域づくりを実現する地方財政活動のあり方を検討する。(p.9)

II.地域の持続可能性が問われる実態

1. 財政依存と地域経済

国からの財政移転が過大になるほど、地方公共サービスの価格を過小に認識する財政錯覚が生じ、地方の財政責任も弱まってしまう

財政錯覚→無駄な公共支出の増大→地域資源の浪費→地域経済の活性化を阻む

%「無駄な公共支出の増大」分が国からの移転によってまかなわれているなら、単に国のお金を使っているだけで、別に「地域資源の浪費」にはならないのでは?
%おそらく地域に賦存する生産要素が公共事業に使われてしまう(市場による資源配分をゆがめる)という意味だろう。一種のクラウディングアウトというか。
%と思ったが、財政錯覚→浪費という流れなので、
%1. 国からの移転が公共サービスの見かけの価格を引き下げる、
%2. 価格低下によって公共サービス需要が高まる
%3. この需要増加分が国からの移転分でまかないきれないほどに大きい
%ということではないだろうか。

%この筋道が成立するためには条件が必要だと思う。クラウディングアウト的な話ならもっともらしい気がするが(そして後段の記述を見るとどうやらこの筋らしいが)、有効需要不足で賦存要素が十分利用されていない局面なら「浪費」というより「有効活用」ということになるように思うし、また「財政錯覚」の要素は本質的には不要である。
%「財政規律がゆるむから無駄な公共支出が増える」という理屈は実際は同義反復でしかないと思う。「財政規律のゆるんだ状態」は「無駄な公共支出が増えている」という減少でしか観察できないと思うので。そう考えると、「国からの移転を減らせば公共サービスに金がかかるってことが身にしみるだろうから公共サービスも厳選されるだろう」と言わんばかりの理屈は、実際には「単にカネがなくなったからやれなくなった」という話にすぎず、「無駄」なサービスがなくなる(=効率的または有効な公共サービスのみになる)かどうかは全然保証の限りではないということになるのではないか。こう考えると、「無駄」か「無駄ではない」かはどうやればわかるのかという観点が、この論理には全く入っていないことが分かる。

図1
「地域経済の活性度」=財貨サービスの移出と移入の差 と定義する。

移輸出が移輸入を上回って活性化している都道府県ほど、人口あたり地方税が増加、人口あたり移転財源が減少。
地方財源が充実する地域ほど、地方債の発行が少なくなる。

活性化していない地域の地方債発行が多いわけではない。
    財政力の弱い自治体ほど、地方交付税に依存する部分が大きくなる
    補助率のかさ上げを介して…地方負担分を軽減する優遇もある

図2
移輸入超過の都道府県ほど公的支出(政府最終消費支出+公的総固定資本形成)の域内総生産に占める割合が高い。

国から地方への財政移転が公的支出のかなりを占める→
公的支出依存が高い場合は地方財政運営が国の以降や財政状況に左右されやすい

地域の選考や実情を反映する地域政策には、自由度の高い税財源と裁量が不可欠
移輸出主導型地域へ転換する戦略として、財政依存見直しを捉えていくべき

%「地域経済の活性度」=財貨サービスの移出と移入の差という観点は少々乱暴な気がする。国際貿易を無視すると移出と移入の差は全国で見るとゼロサムなので、移出超過の都道府県があれば必ず移入超過の都道府県があることになる。全ての地域が一律に高度成長を遂げていてもこうした地域間取引の不均衡は生じうる。また移入超過が活性度が低いというなら、例えばアメリカは数十年にわたってずっと停滞地域だということになる。
%むしろ指標としては都道府県の経済成長率や失業率など一般的に経済成果の指標とされるものを取り上げた方がいいのではないか。
%それにしても移出超過地域ほど人口あたり移転財源額や公的支出割合が小さくなるという関係は一つの観察として肯定できる。紙幅の関係もあろうが、「活力が高くなれば国や公共に依存しなくて済む」というような皮相なまとめ方ではなく、どういう事情が働いているのか財政的な事情を示してほしいところ。
%主題は中長期的な地域経済構造に関係するものなので、2005年度だけではなくもっと長いスパンで分析してもらいたいところでもある。

2.地方を取り巻く環境と持続可能性

人口減少→財政はおろか地域そのものの持続可能性を脅かす
地方分権改革:地方公共サービスを地方税中心の財源で分権的に供給する行財政に転換するねらい

三位一体の改革→財政力の弱い自治体では財政収入の減少につながる傾向
しかし、
・国から地方への財政移転は地域経済の再生・活性化を阻む大きな要因
・故にさらなる縮減と税源移譲を進めていかなければならない

現在の地方財政支出の水準は
    住民が税負担の支払い意思を表明した行政需要を反映していない
    地方公共サービスの効率的な生産に基づいていない

→最小費用で最大効果を上げる財政活動へ転換すべき
    本当に必要な行政需要にのみ地域資源を投入すべき
    地方公共サービスの生産性を追求すべき

%力が入った主張だが、お説ごもっともという印象。深い含意があるようにも思われる。そういう点では政治的な表現に思える。

III. 持続可能な地域と自治体の効率性

1.「ボーモルの病」と地域経済

図4
これまでの職員比率が高く、公への労働資源投入が多い地域ほど、移輸入超過の構造となり、地域経済は活性化していない
自治体の生産性が低いとすれば、「ボーモルの病」が示すメカニズムが地域経済の停滞を招いている可能性がある。

%沖縄振興政策などに異議申し立てをしたいのかもしれないし、その趣旨に反対するものではないし、公共部門の肥大化が地域の賦存資源を吸収して他の民間部門を圧迫しているという主張を否定するものでもないが、この散布図だけでは単なる相関関係にしか見えない。同じ図で、地域活性度が低いからやむなく公的部門で支えているのだという反対の主張(そして「活性度が低い」地域に公的資金投入を進める主張)もできると思う。
%回帰線からかなり離れた点も結構多く、群を分割して検討した方がいいのではないかという気もする。

2. 広域化と自治体の効率性

広域化:公共サービスにおける生産の効率性を高める目的

図5
人口増加→規模の経済性が働くために人口1000人あたり職員数は減少するが、その後は、都市的な行政需要の増大などで、人口は31万9972人を最低に、再び増加に転じている。

%人口規模の大きなわずかな都市を除外すると単調減少になるようにも見える。
%規模の経済とか都市的行政需要の増大とかいうが、単純に割り切らないで突っ込んでほしいところ。

広域化によって、規模の経済性を公共サービスの生産に活かす方法は生産コストを引き下げる有効な手段の一つ
市町村合併の進展は、地域再生にとっても必要
広域化以外の手法も駆使した効率性の追求は欠かせない

%効率化を進める上で広域化は有効な手法という主張。

3.民間活力導入自治体の効率性

図6 2002年度大阪府下32都市の園児一人あたり幼稚園費
私立・公立比率が上昇するほど、園児一人あたり幼稚園費は低下し、1%ポイントの上昇で園児1人あたり幼稚園費が5500円だけ下がる

公立幼稚園では、人件費から施設費にいたるすべての経費を自治体が負担する必要があるのに対して、私立幼稚園では、公共部門が幼稚園に必要最低限の補助を行うだけで済む。
教員の削減や統廃合が容易でない公立幼稚園に対して、私立幼稚園では、少子化で定員割れが生じやすい時代に機動的な対応が取りやすい。

%ここで言う「幼稚園費」が幼稚園の運営にかかるすべての経費を含む費用なのか、自治体が予算として支出する費用なのか、それとも保護者が支払う費用なのかがわからない。少しググってみたがわからなかった。もし行政が支出する金額のことを示しているなら、公立幼稚園が減るほど「幼稚園費」が減少するのは当たり前に過ぎるし、このことをもってあたかも幼稚園の経営効率が私立の方が高いように読ませる記述は詭弁とも取られかねない。
%ググった先で見つけた大阪府私立幼稚園連盟発行「大阪府私立幼稚園ガイドブック2009年度版」(http://www.lcomi.ne.jp/osk/ygb09/index.html)の記述によれば、私立幼稚園に通う場合、初年度の保護者の負担は「園によりさまざまで、平均すると、入園金込みで約33万円」であり、「また、入園時には、一律の納付金以外に、制服代や用品代として平均5万円〜6万円の経費がかかります」。「一方、公立は約10万円(平成19年度大阪府調べ)」ということなので、私立と公立との間で、保護者の負担は20万円から30万円ほど違うことになる。このことから直ちに私立公立どちらが園児一人あたり総費用が大きいかを言うことは出来ないが、本論文の記述と合わせれば、幼稚園運営費を保護者に負担させて行政支出を減らすという形になっているのではないかとも思われ、このことをもって「行政の効率化」と言うのは少し意味が違うのではないかという気がする。すなわち、効率化とは同水準の産出をより少ない資源投入で行うことを通常は意味するのだから、資源調達先を変更したことをもって「効率化」と言うのはおかしいのではないかということである。
%もう一つ気になるのは、公立だと首を切りにくいけど民間だと自由にやれるからいいという主張。これはさらに敷衍すれば、幼稚園(などの教育サービス機関)を情勢に合わせて「機動的な対応を」取れるようにするということにもなろう。つまり時代に合わせて保育士の雇用に関して「機動的な対応」を行う幼稚園は、次は行政から「機動的な対応」を取る対象として扱われることになる。こうした経済社会変動の調整をカスケード的に大組織から中小組織へ、そして個人へと還元していくことがどの程度許されることなのかという問題は、そもそも行政機関の役割とは何なのかという問題と合わせて議論されるべきであろう。少なくとも「民間活力」などという語を簡単に使ってすまされる問題ではない。

IV. むすび

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感想

都道府県などの経済指標などと財政指標とを散布図で見せるというのは直感的でいいなと思った。それっぽい関係が出てくるところも面白いし。でもやっぱり解釈にはそれなりに慎重でなければならないなとも。経済全体の話と財政の話を関連づけるのだから、経済の知識と財政の知識の両方が必要になって、これは結構大変だと思った。移入超過県は資本収支黒字にならないといけないから、民間部門でそれがない(つまり対外資産が十分ない)なら公共部門がそれを補填せざるを得なくて、それを外債発行でまかなえないなら中央政府から流入するのは当然じゃないかなあなどと思ったりもするのだけれど。
あと、公的部門が地域の生産要素を独り占めして民間の発展を阻害しているという主張は、沖縄とか奄美とか見ると直感的にはそうだよなあと思うんだけど、実際にはどういうふうに検証できるんだろうとも思っていた。この論文は、一つそのアプローチを示してくれているわけだけど、でも改めて思うのは、全国都道府県の回帰分析をするのでは不十分で、たぶん、沖縄県奄美地方の分析が必要なんだろうなあということだ。そういうことを改めて確認できた点で、まあ読んで良かったかなという気がする。