下町ボブスレー:日本の都市型産業集積の特徴を象徴するような話

クラフトマンシップは素晴らしい」
「下町の皆さんは技術に自信がある分、使う側の意見を積極的に聞こうという姿勢がなかった」
「下町側は反論する。設計はジャマイカ側の希望でチームの技術指導者が手がけた。より小型のソリを目指したため、ボディーの幅などが規則ギリギリの設計だった。契約では、ソリを引き渡した後の責任はジャマイカ側が取ることになっていた、と。
 だが、場合によっては規則違反を指摘される恐れがあると分かっていたとも言う。」
職人気質、あるいは狭い分野の経験から培った知見と世界観への自信と頑固さ。そして製造の範囲を超えたことは注文主の責任だからあずかり知らないという割り切り。良くも悪くも下請企業のマインドがにじんだ話になっている。
「そもそも、下町プロジェクトは「大田区のものづくり技術を五輪でアピールし、世界から仕事を獲得する」狙いで始まった。一方、選手にとって重要なのは、言うまでもなく大会で結果を出すことだ。」
このズレが重要だったという指摘は他のところでもしばしば目にした。これもある意味では下請・受託加工中心の産業集積政策の欠点を象徴するような話で、ニーズとウォンツの取り違え、穴とドリルのたとえ話みたいな誤解の上に「地域アピール」という下心を乗せて失敗したという印象がある。
多分、目標の実現方法そのものから手探りするしかないタイプのプロジェクトでは、受託開発とは言っても発注元と受託側とのタスク分割や費用負担区分は曖昧にならざるを得ず、受託側も発注元と同じ夢を見て運命共同体を作るような運営をせざるを得ないんだろうなと思う。文字通りチーム型の組織やコミットメントの方が目標実現のパフォーマンスも良くなるのだろう。
地域振興機関の側からすれば、ボブスレーは地域アピールネタの一つに過ぎないから、そこにどの程度注力するかは損得勘定の問題に過ぎない。でもネタをやるときは全力で(つまり損得勘定を度外視して)やらないと成果は出ず、教訓も回収できない。だから地域アピールのネタに過ぎないという観点は遠くに置きながら現局面に集中するというバランス感覚が大切なのだが、これが狂うとただのアリバイ作りになって、プロジェクトに巻き込まれた人が誰も得しないという悲喜劇が起きる。こういう話がよくあるんだよなあ。何でそうなるのかと言えばそれはいろいろあるんだけど、それはまたそれで。

記者の目:「下町ボブスレー」五輪出場ならず 「共感力」高めて再挑戦を=大迫麻記子(東京社会部) - 毎日新聞
2018年3月8日 東京朝刊
 東京都大田区の町工場の経営者らが集まって五輪出場を目指す「下町ボブスレープロジェクト」。平昌冬季五輪で「下町ソリ」を使う契約を結んだジャマイカチームは、最終的にラトビアのBTC社製ソリを使った。

 なぜ下町ソリは採用されなかったのか。ジャマイカチームは走行テストでBTC社製より2秒遅かったことを理由の一つに挙げたが、2台の条件が違いすぎ、正確な比較だったとは思わない。だが、差はあった。取材で見えてきたのは、ソリを製作する力ではなく、ものづくり志向を超えた、乗り手への「共感力」の差だ。五輪を前に、100分の1秒を縮めようと戦う選手やコーチに信頼してもらえなかったことが、残念な結果を招いた要因ではないか。

「使う側の意見を聞こうとしない」
 「大田区の皆さんのクラフトマンシップ(職人技・魂)は素晴らしい」。昨年4月に来日したジャマイカチームのジャズミン・フェンレイタービクトリアン選手は、下町ソリの性能を評価した。12月に行われた、定評ある外国製ソリとの比較テストでも、タイムは互角だった。しかし不採用−−。これは2014年ソチ五輪の時と似たパターンだ。「共にソチを目指そう」と協定を結び、下町ソリを評価していた日本チームが五輪で乗ったのも、今回と同じBTC社製だった。

 こんなエピソードがある。ソチ五輪の3カ月前、下町ソリは日本チームから27項目もの改善要望を受けた。その一つに「フレーム(ハンドルなどが付く骨組み)の色を赤ではなく黒にしてほしい」というものがあった。下町の関係者は「赤は情熱を表現した色。色はソリの性能に関係ないので、変える必要はないと思った」と振り返る。

 だが、日本チームの関係者が明かす。「新しいソリができると、他のチームはボディーの中を横からのぞいて構造をチェックする。まねをされたくないので(フレームが)目立たないようにボディーと同じ黒にしてほしかった。何度か言ったが直してもらえなかった」。別の関係者の言葉は痛烈だ。「下町の皆さんは技術に自信がある分、使う側の意見を積極的に聞こうという姿勢がなかった」

目標に食い違い、話し合い足りず
 15年11月の例も示唆に富む。平昌を目指していた日本チームはドイツで比較テストをした。下町ソリとドイツのシンガー社製を滑走させ、1日目のタイムは同等。すると、社長とともに現地に来ていたシンガー社の技術者が自社のソリを分解し始め、重りを積むなどして組み直した。翌日のテストでシンガー社製は1秒も先行した。ソリはコースや選手の特性に合わせた調整で滑りが変わる。一から組み直せばなおさらだ。日本チームの関係者は「ソリをバラバラにして組み直した時、『そこまでするか』と驚いた」と話す。採用されたのはシンガー社製だった。

 そして、平昌五輪の4カ月前の17年10月。下町がジャマイカチームに引き渡したソリは、規則違反を指摘された。ソリには形状や重さなどの細かな国際規則があり、国際審判のチェックをクリアしなければ使えない。五輪出場のかかった試合を目前に控えていたジャマイカ側からは「このままでは五輪を棒に振る」と厳しい声が上がったという。

 下町側は反論する。設計はジャマイカ側の希望でチームの技術指導者が手がけた。より小型のソリを目指したため、ボディーの幅などが規則ギリギリの設計だった。契約では、ソリを引き渡した後の責任はジャマイカ側が取ることになっていた、と。

 だが、場合によっては規則違反を指摘される恐れがあると分かっていたとも言う。そうであれば「後で修正すればいい」という姿勢ではなく、リスクについてきちんと話し合い、対処法も詰めてからソリを引き渡すべきだった。この出来事がジャマイカチームを不安にさせ、ジャマイカは結局、BTC社製を選んだ。

 日本の元選手は「BTCのソリは氷にランナー(刃)が食い込む。安定感が抜群で、規則違反のリスクもない」と話し、下町ソリは「素材はいいし作りも丁寧。だが、氷の上でソリがズレる感じがあって操縦しにくい」と評した。BTCは小さな工房だがボブスレーの経験者が関わる。元選手は「操縦しやすいし、調整もしやすい。経験者が作っているので乗り手の気持ちが分かっている」と付け加えた。

 そもそも、下町プロジェクトは「大田区のものづくり技術を五輪でアピールし、世界から仕事を獲得する」狙いで始まった。一方、選手にとって重要なのは、言うまでもなく大会で結果を出すことだ。

 意見が食い違う時は徹底的に話し合う。比較テストなど重要な局面では、ベストな状態で走れるようにソリを調整する。規則違反のリスクがあるなら、付きっきりで修正できる体制を組んで安心させる。こうした点で、下町は選手の気持ちにどこまで寄り添えていたのか。ライバルに後れを取ってはいなかったか。

 下町プロジェクトの今後は未定という。だが、ソリの性能が劣っていたわけでは決してない。挑戦を通して課題が見えてきたからこそ、22年北京五輪のコースを滑走する下町ソリを見たい。