北陸先端科学技術大学院大学では2017年10月から入構45分前から全面禁煙。

全面的な流れになってほしい。断固支持。しかし推進派はよく頑張った。組織内で禁煙を進めるのはものすごく大変なので、関係者の地道な努力が長年続けられたのではないかと推察する次第。喫煙者や喫煙者に同情的な人たちの納得を取り付けるのがものすごくしんどいんだよね……。嫌煙家ですら、人脈やコネで構内喫煙を擁護したりするしね……。
もちろん45分という数字を監視することはできないし、実質的な懲罰は困難だろうけど、この種の取り組みとして理念法を掲げるのは大事なことだし妥当なことでもある。

「喫煙後45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁煙に踏み切った理由 - エキサイトニュース(2017年11月2日 12時20分)
北陸先端科学技術大学院大学JAIST)が、10月1日より構内全面禁煙を実施した。全面禁煙に踏み切ったことに加えて「喫煙後45分間」の構内立ち入りも禁止。先進的な受動喫煙防止の取り組みにネットでは驚きの声が上がっている。どのような経緯があったのか、JAISTに話を聞いた。

話し合いを重ね、“構内全面禁煙”へ

JAISTの担当者によると、「これまで何度か大学のなかで受動喫煙防止の取り組みを考える話し合いがあった。従来の健康増進法受動喫煙防止の規定はあったが、さらに2015年6月に改正された労働安全衛生法でも、職場の受動喫煙防止が努力義務として加わったことで、本格的に取り組むことになった」とのこと。また、東京オリンピックに向けた受動喫煙防止の動きもあり、改めて大学内で話し合いが行われ、全面禁煙に至ったという。

喫煙後45分間は立ち入り禁止

今回の全面禁煙により、構内に10数ヵ所あった喫煙所はすべて閉鎖。さらに構外で喫煙した場合でも45分間は立ち入りを禁止している。

「今年の3月に専門家を呼んで講演会をした際に、『喫煙後、45分間は肺から有害物質を吐出している』との説明があった。そのため、受動喫煙防止措置として、喫煙後45分間は本学の敷地内及びJAIST Shuttle(シャトルバス)車内への立ち入りを禁止している」と担当者。実際に、IQOS(アイコス)などの有害性物質が減っているとされる加熱式たばこも規制の対象としている。

JAISTだけでなく、東京オリンピックに向けて喫煙に対する規制が強化される流れは今後ますます大きくなりそうだ。

(日野綾)

これは本当に仕方ないと思うんだけど、喫煙者って、煙草の臭いや煙には鈍感だし抵抗がないから、自分が「臭っている」ことや、部屋がたばこ臭いことに気づかなかったり違和感がなかったりする。だから、周囲の人がニコニコしながら黙って我慢していることにも気づかない。ご本人は、真面目に気を遣って、外で吸ってくるわけなんだけど、業務の合間に急いで吸って、急いで戻ってきたその足で打ち合わせに入ってこられたりすると、煙と悪臭がものすごいんだよね。特に、その人がしゃべったりすると、ゴジラ放射能を吐いているシーンを思い出すぐらい。だから、喫煙後45分間は入構禁止という規制が求められるのは、本当にしみじみとよく分かる。どう考えても受動喫煙しているからなあ。
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喫煙者排除に潜む日本の病巣 https://anond.hatelabo.jp/20180219232323

という投稿と一連の反応を見て。

主張は禁煙反対派の既存のもの。喫煙者の権利を侵害しているという話など。

で、今は当然のことと受け入れられているが、昔はそうではなかった事例を探そうと思って、立ち小便を思いついた。立ち小便を禁止されるときにも、立ち小便をする権利を侵害しているという類いの反応があったのではないだろうか。子どもの頃、立ち小便は男の勲章だみたいな文化?があったと記憶している。
それで朝日新聞を検索してみたら、意外にそういう記事は出てこない。
立ち小便擁護派の主張は見当たらず、立ち小便は良くないにも関わらずいっこうに減らないという記事ばかりで、公徳心の欠如を嘆く記事、警察に取りしまられた記事、取り締まりに反抗して捕らえられた人の記事、立ち小便を注意されて逆上した人の記事ばかりである。
立ち小便の原因として、尿意を我慢できない男性の忍耐力のなさや公衆便所の少なさに言及されることはあるが、だから立ち小便をするのもやむを得ないという論調は出てこない。立ち小便をする権利という概念がどうもなさそうなのだ。
ただし、これは朝日新聞という公器に現れている論調だけなので、紙面に出てこない部分でどんな話があったかは分からない。なんで立ち小便の取り締まりは不当だ、人間には立ち小便をする権利があるという議論はたぶんどこかであっただろうという気がする。居酒屋談義などではいかにもありそうだ。
そういう記事を探している最中に、昔の人はマナーが悪かったんだなあという記事を見つけたので紹介する。煙草が苦手な人を煙草ガスに被曝させることを擁護する人々でも、以下のような行為を全て擁護する人はあまりいないのではないだろうか。

東京朝日新聞1936年(昭和11年)10月15日付夕刊3ページ(東京)
市民の栓
やめたい例
◇公徳心の欠除については、街頭到るところにその例を見せつけられていやになる。やめたい多くの例……
(一)街頭に紙屑を棄てることはやめたい、紙屑入れもあるではないか。
(二)街頭に唾を吐くことはやめたい、殊に電車やバスの中に唾を吐くことだけは是非やめたい。人が吐いてゐるのを見ていゝ気持ちかと訊きたい。
(三)道の真ン中へ鼠の死骸を放り出すのは是非やめたい。車に轢れ人にふまれて見ても胸がむかつく。こんなことをする者は厳罰に処する方法はないものか。
(四)野球場で尻に敷いた新聞紙をそのまゝ放っておくのはやめたい。貴方の庭に新聞の破れたのを放っておきますか?
(五)紅葉した山の木を折ることはやめたい。あれは一本々々に折っては風情も何もない。遠くから眺めていゝものなのである。
(六)煙草の吸殻を道路やプラットホームに火のついたまゝ捨てるのはやめたい。風があると危険です。
(七)下水の水を道路に撒くのはやめたい。これからは西や北の風がひどくなると、不潔物が舞ひ上がってお互に困ります。殊に夏時はあの異臭のある水を撒かれては堪りません。
(八)立小便はやめたい。小路といふ小路を見れば便意を催す男を私は軽蔑する。少しは良心と羞恥心を持って貰ひたい。
(長州生)

ところで、過去の新聞の論調では、立ち小便防止には刑罰を加えることと同時に公衆便所の充実が上げられている。この伝で行けば、公共の場所での喫煙を防止するには、刑罰と同時に喫煙所の充実が有効だという類推が成り立つ。小便が生理現象で我慢が難しいものであるのと同様、喫煙もニコチン中毒による生理的欲求が動機の一つだから、我慢できない人が駆け込める密閉空間がたくさんあればいいわけである。そう考えると、喫煙所を減らす現在の風潮はむしろ問題を大きくしているのだと言えないこともない。
ただし、第一の問題は、煙草の汚染大気を完全遮断できる喫煙所を作るのはほぼ不可能であること、喫煙が終わった人を完全浄化してから解放しなければいけないことという、汚染隔離の現実的な困難さである。
そして次の問題は、こうした喫煙所充実のための費用を誰が負担すべきかという問題である。小便は全ての市民にとって生理現象なので、公衆便所の必要性については共感を得やすい。しかし喫煙所はそうではない。利用者負担原則からすれば喫煙者が負担すべきだが、喫煙者に不便を強いる補償として、あるいは煙草の害から身を守るための対策費として、非喫煙者が負担するべきだという考え方も成り立つ。
さらに第三の問題としては、喫煙所充実は喫煙行為自体を減らすべきだという点に対する逆行になるということである。
こうした事情を考えてみると、どうやら公衆便所のように喫煙所を増やそうという意見が共感を得るのは簡単ではなさそうだ。
煙草を憎悪する私からすれば、麻薬に立ち向かうドゥテルテ並の勢いで煙草を取り締まりたい気持ちもあるのだが、せめて煙草による汚染の広さとしつこさについては喫煙者にももっと分かって貰いたいとしみじみと思う。
そう言えば、昔は痰壺というものがあって、さすがに道ばたにはなかったが、建物の中には所々に置いてあった。子供心に便利なものだなあと思った記憶がある。これのお陰で皆が安心して痰を吐けると思ったのだ。ところで、そうした痰壺の存在が道ばたで痰を吐く行為を抑止したかどうかは定かではない。辻々に痰壺があれば良かったのだろうか。もちろん多少は効果があっただろう。でも今ではコンビニ前に吸い殻を捨てるゴミ箱があるが、そのコンビニから数十メートル離れるともう吸い殻が落ちていたりするから、そうとも言えないのじゃなかろうか。その後、痰壺は消えていったが、それが痰を吐く行為を減らしたのだろうか。おそらくそうではなくて、道ばたで痰を吐くのは良くないという意識が広まってそうした行為が減り、必要性が減って痰壺も減ったのではないだろうか。もっとも、痰壺は単なるゴミ箱ではなくて結核予防などの衛生器具だったので、その感染リスクが減るにつれて撤去されていったという側面もあるのだけれど。そう考えると、煙草の場合も結局は人々の意識の変化が一番重要なのかもしれないなあ。