手厳しいなあ…。哲学者ってのは近くにいてほしくはないし、いてもらいたい人なんだなあ。

巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ | 哲学塾からこんにちは | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト(2015年3月27日)

辛口で面白い。

しかし、物騒なことに、あのハーバード大学マイケル・サンデル教授のように、いろいろな人がまったく哲学とは縁もゆかりもないものを「哲学」と称して全世界にばらまいているのですから、困ります。
絶対言うと思った(笑)

芥川も三島も漱石も、「哲学者」ではない理由 | 哲学塾からこんにちは | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト(2015年6月26日)

もちろん、そうは言ってもどうにか共通の基盤があるかのようなので、とにかく大学に哲学科があり、日本哲学会という学会もありますが、そこは一定の科学者集団とは異なって、根本的に相容れない考え方をした人間が集まっていて成立している、世にも奇妙な集団です。

そこでは、人間が考えうるありとあらゆる馬鹿げたこと(たとえば、他人はいないとか、未来はないとか、世界はないとか……)が堂々とまかり通っている。そして、専門哲学者たちは、そういう馬鹿げたことを主張する「論理」は理解し合えるけれど、ただひたすら賛同し合えない。

そこで、まず論理の破綻を指摘し合うのですが、これはなかなかうまく噛みあわず、といって「私はそういう考えは嫌いだ」とは(心の中では叫んでも)表立っては言えないので、「おもしろくない見解だ」とか「陳腐な、月並みな、素人くさい、目配せの行き届かない、一方的な、ポイントを突いていない、論理が弱い、カントの亜流の、ただの寄せ集めの、全然説得力のない……見解だ!」と糾弾して、互いに自分以外の哲学理論を批判(非難、排斥、罵倒?)し合うわけです。

これには思わずニヤニヤした。かなり韜晦気味で、これを字句通り受け取ってはいけないわけだけれど、このニュアンスにはほほえまずにいられない。でもまあ、自然科学系はどうか知らないけれど、人文・社会科学系の本質ってまさにこういうものであるはずではないのかなあ。

「経済学はしょせん科学ではない!」とよく馬鹿にされるけれど、そして以前はそういう批判に傷ついたり悩んだりしたけれど、「いや、そりゃ「科学」ではないでしょうよ…」とだんだん思うようになってきた。まあ、この人の言う「哲学」でもないわけですが…。

「経済学って何だろう」とか「社会や経済って何だろう、そもそもそれは存在するのか」とか「何をどう表せばいいのか、表せるのか」とか「ミクロとかマクロとかって何なんだ」とか、そういう問いなら問わずにいられない、どんな論文を読んでもそういう角度からの疑問が湧いてきてしまうというのは、まあそうなんだけれど、それはまあしょせん「ニセ哲学」の領域だからなあ。いろいろたくさんの事柄に通俗的な前提を置かないと、その先に進めないっていう領域があるんですよね…。それは全く自らの無能力の証拠でもあるわけですが。