奄振とエコミュージアムと産業振興と

奄美ミュージアム構想」の挑戦 http://www.dbj.jp/reportshift/area/s_kyusyu_s/pdf_all/200506.pdf
うかつにも奄振にエコミュージアムの思想が入っていたとは知らなかった。
このレポートが出されたのが2005年、それから6年が経って、実際エコミュージアム構想がどう実体化しているのかをそろそろ見に行ってもよい頃になっているだろう。
今回は、このことと少し違うことで思いついたことをメモしておく。
第一の疑問:エコミュージアムはそもそも地域活性化や産業振興という論理と相性がいいのだろうか?
エコミュージアムの思想には、経済活性化という観点とは本来は無縁なのじゃないか?と思うのだけど。もちろん抱き合わせができるならそれでもいいのだけれど、自然的な、あるいは文化的な空間の価値の保全と、それらの観光産業化とは無条件に抱き合わせにできるものではないように思う。ちょうど民俗村みたいな文化の切り売りが問題になるように。あるいは世界遺産の指定と地域社会の変容、環境保全とのせめぎ合いのような。たとえばジオパーク地域活性化の一環として地元は解釈しているようだし、地理学や地学関係者もその傾向に迎合しているように見える。
地域開発の一つの手段としてエコミュージアム的な方向を追求するというのはよくわかるけれど、それが開発を正当化する手段だと解釈されてしまうと、観光開発や脆弱な産業の多角化・高付加価値化支援策の便法となってしまいはしないだろうか。
第二の疑問:エコミュージアムと六次産業化とは合体させてもいいのかな。
第一の疑問とかぶるのだけど。
確かにニッチ探しや見過ごされてきた事業機会の掘り起こしという点では、エコミュージアム的な地域の再発見という方法は有効かもしれないし、あるいはミュージアム化する中で生まれる観光ニーズを事業機会とすることは可能かもしれないのだけれど、それはエコミュージアムという社会運動とは一応区切っておいた方がいいような気がする。うまく言語化できないけれど、その場所に生きることの多義性を経済性評価が矮小化したり可能性を閉ざしてしまったりするようなことがある気がする。
それと、六次産業化ってのが、脆弱で事業本体だけでは存立が困難な産業をむやみに保護するための口実になっているのではないか、という気もする。もちろん、切り捨てていい産業や事業というものを、開発計画の策定者が決めていいわけはないのだけれど。