ETV特集「よみがえれ里山の米作り〜小さな米屋と農家の大きな挑戦〜」

チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2010年 1月10日(日)
放送時間 :午後10:00〜午後11:30(90分)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

里山の美しい田んぼを守りたい。小さな米屋と小さな農家が手を組んで、生産性が極めて低い棚田などで安全でおいしい米作りを続けている。米屋は奈良県大和郡山市の入口寿子(いりぐち・ひさこ)さん(62)。入口さんは10年前から全国各地を訪ねて「米は高く売りますから、環境を汚さない無農薬米を作ってください」と呼びかけ、それに北海道から鹿児島まで全国70以上の農家が応えてきた。そして今、入口さんは新たな呼びかけを始めた。耕作が放棄され荒れ地となった田んぼの再生である。
耕作放棄地が増え、荒廃が進む里山の田んぼ。しかしそこは美しい日本の原風景。しかも源流の天然水で潤され、安全でおいしい米ができる。そんな環境保全にもつながる田んぼを復活しようというのである。その呼びかけに応えた一人が、日本一おいしい米を競うコンクールで5年連続金賞を受賞してきた米作り名人の古川勝幸さん(52)。福島県郡山市で独自の漢方農法を実践し、去年から谷間の放棄田での米作りに取り組んでいる。その田は飲み水にも利用されている清らかな源流水で潤され、安全性とおいしさの点で極上の米の生産が期待できる。しかし一度放棄された田での稲作には思いもよらない困難が付きまとう。源流水が冷たい、日当りが悪い、漏水が激しい、そして従来の農機具が思うように使えないなど、乗り越えなければならない壁は数えきれない。古川さんはそれらをどう克服していくのか?
番組では、古川さんの放棄田再生の米作りの日々に、福島県天栄村新潟県津南町秋山郷の農家の取り組みなども交え、原野と化した水田をよみがえらせようとする農民たちの不屈の挑戦を8か月にわたって追った。

視聴記録

※テレビを見ながら聞き取ったメモなので不完全かつ間違いがあると思う。


入口さん。大和郡山市で米と酒を販売。全国を回って農家に直接会い、その生産者の米を販売している。


福島県天栄村を訪れて放棄田の再生を依頼。天栄村の主産業は稲作。天栄米研究会のメンバーと村長、産業振興課の人と面談。村内の放棄田が次第に増えている。放棄田を見て回る。15年くらい放棄されている田んぼはとても再生できないということで、5年ほど放棄された田んぼを見る。これなら何とかなりそうだ。
その夜の話し合い。苦労して作っても採算が取れないのではという話が出た。


入口さん:再生産できない収入にしかならないのだったらそれは無理がある。再生産できる価格で引き取らせてもらうから。


入口さんは元々酒屋。大手ストアのディスカウント競争。価格競争に対抗したかったが方法がない。米なら差別化できるのではないかと考え、環境に配慮したおいしいお米を作ってくれる農家を全国に探し求めた。
5年前に新潟県津南町秋山郷を訪れた。環境と風景に感動してここの米を販売し始めた。山田さん。棚田で米を作っている。
見事な石垣。明治時代に秋山郷の人たちが自ら造成。地中から出てきた石を使って石垣を作った。
しかしここも放棄田が3分の1。200枚くらいある棚田の70枚が放棄されている。
入口さんは各地で放棄田を見るうちにその再生を考えるようになった。


入口さん:
はじめは安全でおいしいお米ということで全国を回っていたが、回っていくうちに放棄田が出ているので、このままだとわき水自体も出なくなってしまうのでは。


環境も守りたいということで、秋山郷の棚田を持っている瀧澤芳彦さんに会うことにした。今は郵便局勤務。


瀧澤さん:採算も取れない、手間もかかる。
入口さん:その分付加価値をつけて販売させていただく。
瀧澤さん:作る人がいなければどうしようもないわけで。


よい返事はもらえなかった。


福島県天栄村
天栄村から25キロ離れた郡山で大規模な稲作をしている古川勝幸さん。天栄村に通って棚田での米作りを始めた。天栄村で新たな棚田を探している。300メートルくらいの中山間地に10年ほど米を作らなくなった放棄田があった。三方が山に囲まれた日当たりの悪い土地。もともと8枚田んぼがあった。そのうち道路に近い2枚は再生できそう。わき水があった。


古川さん:甘い水。ミネラルが豊富だと思う。


ミネラルはおいしいお米作りに必要な成分。古川さんはここでの米作りを決心した。


古川さん:環境がよく水がきれいな土地なら究極の米作りが出来るかなと。うちの方では今は区画整理が進んで街になってしまったので昔はあったが今はなくなってしまった。


古川さんが放棄田を整備する日。天栄米栽培研究会の人も応援に駆けつけた。再生面積は5アール。平野部の6分の1だが20人で半日がかりの作業になった。


立木を伐採。竹を割っている。
古川さんが作っているのは源流水を田んぼに引き込むための水路。源流水を使って新しい田んぼの米作りがスタートする。


研究会の挑戦もスタート。5年間放棄されていた田んぼ。太い草のツルが地面をはっている。
メンバー:(ツルを引っ張って)これこれ。機械が壊れちゃう。


研究会が再生を決心した理由。古川さんが遠くから通い続けて米作りをしている姿がある。


メンバー:郡山の大変いいところから来て、ここはいい米づくりが出来ると。地元だから気がつかないのだ、宝の山だと。外から来てやってくれているのに自分たちが何もしないでいるわけにも行かないだろうというのもあるし。


研究会の放棄田整備では、稲作で忙しい時期でも30人のうち10人が再生に駆けつけた。整備は大型重機も使っての大がかりの工事となった。4枚の田んぼを1日で復活させる。天栄米再生研究会は、行政と協力して結成された。安全で付加価値のある米を皆で作ろうとしている。
だが、近くの沼から水が流れ込んで湿地となっていたので作業は難航した。


メンバー:土地改良事業みたいになっちゃって、これだと1日では終わらないよね。


ぬかるみがひどい1枚はどうしても元に戻せなかったが、3枚は荒れ地からは想像も出来ない田んぼに生まれ変わった。


5月、古川さんが25キロ離れた郡山の自宅から田植機を運んできた。2年目の田んぼから田植えをする。会社勤めの長男も手伝いに来た。
古川さんは農薬や化学肥料を一切使わない。20代の頃農薬で体をこわしたつらい経験があるからだ。地面に紙を敷いて田植えをする。紙を敷くことで雑草の発生を抑える。50日ほどで溶けるが、そのころには稲が生長して水面に日光が届かないので雑草は生えない。
作業は難航。土が軟らかく、田んぼも曲がっていて、通常の3倍くらい時間がかかる。


紙の上に泥がかかってしまった。
一番高いところは田植えをしなかった。日陰だし水が入るところなので冷たすぎるから。ここに水をためるところとしてビオトープにする。柵を作って水をためて暖める場所とする。
石を敷いて丸太を置く。石を置いたり。生き物が休む場所。
5日後水温を測ると、沢水が入る場所では15℃。田んぼへの出口では21℃。


続いて今回初めて取り組む田んぼ。
田んぼの面積が狭いため、今では余り使わない小型の田植機での作業となった。山間部での米作りでは平野部では必要ない様々な工夫をしなければならない。


6月。入口さんにうれしい知らせ。新潟県秋山郷でも放棄田を読みが得させることになったのだ。
6月4日田植えの日。山田さきおさんが1枚だけ再生することにしたのだ。農家の仲間たちも駆けつけた。手で田植え。
河田強一さんも入口さんに米を販売している一人。田植えに駆けつけてくれた。


河田さん:棚田を守るのも一つの使命だと思う。
入口さん:人手が足りないと思っていたので手伝いに来たのだが、たくさん来てくれた。


11人が参加。わずか1時間で終了。
取水口に長い黒いビニール製のホースが取り付けられた。田んぼの中に長く伸ばしている。黒いホースに通すことで夏でも10℃に満たない水を温める。また週に一度ホースを移動させる。山間部で米作りをしてきた農家の知恵。


ちょうどそのころ、天栄村
古川さんが新たに再生を始めた田んぼ。田植えから2週間。田んぼは干上がっていた。5日前に水を入れたばかりだった。


古川さん:驚きました。普通の田んぼだとこうはならない。10年以上放置していたので、草の根っこが張っていくと水はけがよくなっていく。ここまで乾くとは思っていなかった。


地割れが20センチ以上ある。予想を遙かに超えたひび割れ。田んぼはからからに。一度植えた苗を刈り取って田植えをやり直すことに。


番組スタッフ:この間植えた苗を刈り取ったが?
古川さん:かわいそうな気もするが。


耕運作業からやり直し。石はまだまだ出てくる。田植えのやり直しなど古川さんの34年の農家人生の中で始めてのこと。古川さん、作業をストップしてしまった。


古川さん:柔らかくて農機具が入らない。


乾ききっていたのは3分の2。残りは伏流水で柔らかくなっていた。
水の良さに惹かれてここで米作りを始めた古川さん。しかし毎日通うことは出来ない。


古川さん:水の量の調整が難しい。入れっぱなしでなければならないのだけれど。


水量を調整して今度は2日後に見に来ることにした。


2日後。水はやはりたまっていなかった。古川さんはさらに水の量を増やすことにした。
トンボで代掻き。手作業で丹念に。土を攪拌してひび割れをふさいで水漏れを減らそうというのだ。高校を卒業して農業に従事したときには機械化が進んでいた。昔ながらの手作業はほとんど経験していなかった。


古川さん:ほとんどトラクターを使えると思っていた。どんな山奥でも今はトラクターを使えるように作ってある。


自宅の納屋にしまってあった古い棒を持ってきた。ならし棒といって機械化が始まる前に使われていた農機具。


古川さん:トラクターが入れないから平らにするのにいいかなと思って。トラクターはどうしても平らにならない。やっぱりいいですね。昔の道具も。


翌日。手持ちの苗を使い果たしてしまった古川さん。漢方農法の仲間である影山和男さんから苗を分けてもらいにやってきた。


番組スタッフ:ただであげちゃうんですか。
影山さん:自分もいろいろやってもらってるからね。何があるか分からないから。


ひび割れた田んぼで2度目の田植え。
放棄田の再生では予想もしない困難に次々と直面する。しかし古川さんはいらだたないことを心がけている。


古川さん:米を作るときには、いらいらしたりしてはいけないと思う。リラックスした状態、平常心かな。去年は若干いらいらしたこともあった。その分味も落ちたかな。でもその分ここに来ていやされたからいいかなと。


6月下旬、二度目の田植えから2週間あまりがすぎた。今度は日当たり具合が気になる古川さん。道路に面していない奥の田んぼは日当たりのいい場所と悪い場所で生育の差が2週間で出てきた。


古川さん:植えたままの感じですね。日陰だから出てこられないんですね。茎が植えたままですね。これが青々としてないといけないです。でも根っこは伸びてますね。


水温を測ってみた。日が当たっている場所は33℃。それに対して日陰はわずか18℃。15℃の差が出ていた。


番組スタッフ:この期間でこれほどの差が出るとは。
古川さん:日照不足と日陰の分、寒いんですね。太陽の光で全然違いますよね。


午後2時で奥の田んぼはほとんど日陰。古川さんはそれでも稲が育つようにと、田んぼに引き入れる水の量をさらに増やすことにした。


番組スタッフ:水の量を増やしましたけど、なぜですか。
古川さん:日陰が多いので水の量を増やして保温してあげようかなと。夜は冷えるから水で保温しようかなと。(深水管理)


午後6時、道路を隔てた向かいの田んぼはまだ日が当たっていた。苦戦する古川さんの一方で、天栄米研究会の田んぼでは予想以上の成長を遂げていた。日当たりがよく、耕作放棄ではびこっていた草の栄養が成長を促していたのだ。しかし夏に入って心配が出てきた。長雨で日照不足が続いていた。このままで生育に支障を来すのではという心配が募ってきた。そして経験したことのない異変が起きた。
稲の実りを阻害する病原菌が大発生したのだ。イモチ病。寒い年の夏、特に風通しの悪い場所で発生する。


研究会メンバー:生育は平田以上だったが。


これから10日ほどすると穂が出てくる。そのとき葉に感染した病原菌が穂に触れると不稔を起こす。しかし日照が回復すると元気な稲なら回復する。鰯を混ぜてミネラルを豊富に含んだ作った自然の薬剤を散布することにした。


古川さんにも新たな問題が発生した。2年目の田んぼで押さえられるはずの雑草がはびこっていたのだ。


古川さん:驚きました。1週間くらい来ない間に草がはびこりましたね。1週間前の倍くらいに見えます。稲が育ってなくて草だけ育っているからそう見えるんだね。全部草に養分を座れてしまって。


コナギという繁殖力がきわめて豊富な雑草。紫色の美しい花を育てるコナギだが、吸血鬼のように土の養分を吸い取ってしまう。ぬかるんだ泥の中にコナギの種が出てきてしまった。予想しないコナギの繁殖にたくさんの時間と労力を採られることになってしまった。
手作業で草取りをする古川さん。


古川さん:珍しいですね、紙張りしてここまで草が生えるとは。今までないです。初めてです。


8月中旬、稲穂が出始めるお盆になってようやく天候は回復してきた。イモチ病が大発生した天栄米研究会の田んぼでは幸い病気は押さえられた。稲穂はたくさんの花を咲かせた。
コナギが発生した古川さんの田んぼ。雑草に負けまいとするかのようにけなげに花を咲かせた。


9月、入口さんが大手デパートのバイヤー、水野さんを連れて天栄村に来た。全国のデパートに米を卸している。その中に放棄田再生の米を加えたいと思ったのだ。


入口さん:だんだん穂に米が入ってくる。


入口さんは里山の環境を再生させる米作りの価値を感じ取って欲しいと願っていた。古川さんの田んぼにもやってきた。


古川さん:コナギが大発生しちゃって。採りきれないんです。
水野さん:栄養を多少は持って行かれますかね。
古川さん:いやーずいぶん持って行かれますね。


ビオトープに案内。


古川さん:蛙はね、種類がたくさんいます。名前が分からない虫もたくさん。
入口さん:たくさんいるとね、安心だと思いますよね。


水野さん:やっぱり、これだけ手間がかかっていますから、価格面ではある程度高いお米になりますけど、これを消費者の方にしっかりアピールして、納得して買っていただきたい。全国に18店舗ありますので、すぐ売り切れてしまうと思います。


10月、研究会の田んぼは豊かな実りを迎えた。稲刈りの日。研究会のメンバーが小学生に声をかけて体験してもらうことにした。村の子供でも農作業を経験することは少なくなってきた。子供たちは初めて鎌を使う。
研究会の40代のメンバーにとっても鎌での稲刈りは初めてだ。


石井透公さん:したことなかった。一緒に体験できるのもいいね。ありがたいが出る。今だと薬で1回で草取りも出来るけれど、ちょっと手をかけることで。


次の春にはさらに面積を増やして放棄田の再生を進める。


新潟県津南町秋山郷の棚田。こちらも豊作だった。よりおいしい米にするため、小型の稲刈り機で刈り取って天日干しにする。春に田植えを手伝った人たちもやってきた。入口さんも駆けつけた。


入口さん:やはり大変な作業の中から再生していく順番を自分の目で確かめて、バイヤーさんや消費者の方に伝えていく。自分はパイプ役だと思っている。生産者の方から大変な作業などを伝えられないので、そのご苦労を見ておくのは大切なこと。


秋山郷で再生された田んぼはまだ1枚だけ。だが大きな一歩になった。


秋山郷の人:この近辺にはないような先人が作ったものだから、社会的にはいったん崩れてしまえば再生はもう不可能なものばかりなので、何とか後世に残していく。


秋山郷では補助金を受けて放棄田の再生に取り組むことになった。


古川さんの田んぼ。道路に面した田んぼはまずまずのできだった。しかし奥の方は日当たりの悪さが災いした。


古川さん:全然実が入っていない。この辺は全然日が当たらないところだから植えたままだ。…これは不稔。これは実が入っていない。これは実が入ろうとしたけれど育ちきれなかった。未熟米。
番組スタッフ:予想されてました?
古川さん:ここまでひどいと思っていなかった。こんなに不稔が多いと思っていなかった。苦労した割に、茶碗3杯あるかな、ここ1枚で。大冷害の年みたいだね。


古川さんは鎌で刈り取る。


古川さん:ほとんど実が入っていないから、入っているところだけ、この辺だけ。後は草刈り機で刈り取ってしまうから。


わずかに実をつけた穂だけを刈り取る。


古川さん:これ1年目なので、勉強なので。こういうことはしょっちゅうありますから。


つづいて再生を初めて2年目の田んぼ。こちらも雑草のコナギが大発生したため、1年目よりも収量は減ってしまった。しかし努力した甲斐もあった。


古川さん:品質的には去年より若干いいと思う。今年は水温に気をつけたのもよかったのかと思う。草の被害がなければ去年の倍ぐらいあったかも。


古川さんの50アールで出来た米は16俵。期待の半分だった。
出来た米を仲間と試食する。


仲間たち:光ってるね。香りもいい。よかったねえ、これだけの味になって。
仲間たち:きれいな水を吸い上げた米だからねえ。
仲間たち:苦みが全然ないですね。
古川さん:私もさっきもみすりして玄米を見たときにはここまでの味になるか心配だったけれど、精米して、安心した。消費者のところに行っても喜んでもらえると思う。


古川さんの米は大手デパートで販売されることになった。


稲刈りが終わった11月、入口さんは次の年に向けて各地の農家を回っていた。この日は古川さんを訪ねた。


古川さん:おはようございます。
入口さん:どうでしたか。収量は?
古川さん:ちょっと落ちています。この棚田は3俵ぐらいです。
入口さん:きついですねえ。
古川さん:土手が多くてみずはり面積が半分くらいしかないから仕方ないです。
入口さん:でもその分食味がいいですよね。


入口さんは肥料蒔きを手伝う。


入口さん:今年は大変ごく労してお米を作っていただいたので、労をねぎらう気持ちもあって訪問している。


今日本の耕作放棄地は38万ヘクタール、ほぼ埼玉県の面積に匹敵する。


番組スタッフ:もう止めようと思わなかった?
古川さん:いや、来年はもっとよくなるように。悪いことは考えずにちょっとでもよくなるようにがんばりたい。