経営や経済の学部でゼミに入れないのは学生の不利益かという話と学生要求には丁寧に対応すべきではないかという話。

ゼミに入れないのは「学習権の侵害」女子学生は声を上げた 開講減らした大学に改善迫る
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/876757

龍谷大学経営学部の事例。運動した学生(元学生を含む)への取材を中心とした記事。

記事によれば、
経営学部の細川孝教授:
ゼミ開講数の推移:2010年度は25→17年度は18、2年生約500人中約80人が未ゼミ生に。退職教員の補充が進まなかったため
とのこと。

下記の新聞記事と他のリンク先によれば、およそ以下のような経緯。

2017年
6月 学生が327人分の署名を添えて大学側に改善要求

→大学から質問書が帰ってくる
・「絶対的に適正なゼミ数を算出する方法を教えてほしい」
・「実態調査でどのような内容を把握する必要があると考えるか」
→返事を送る→「正式な回答書」はなし。

10月30日 正式回答がないとして学生や教員の有志グループが弁護士会人権救済申立

2019年
1月11日 李洙任(リー・スーイム)教授(当時)が学校法人と同学部長を訴える。
「「未ゼミ」問題を解決するよう要望したのに、適切に対応されなかったとして」。

2021年度?22年度?
4年生が大学宛てに要請書→数回会談、学生「ゼミの数も増えてきていて、改善に向けて動き出しているように感じる」と。

2022年9月12日現在、李洙任氏(現名誉教授)の損害賠償請求訴訟は京都地裁で係争中。

ここから先は憶測の上に憶測を重ねるので、ほぼ無意味ではあるが。
直感的には、必修でもないのでゼミ生採用で各教員の主張(簡単に言えばわがまま)を抑える機制が働かず、ゼミ生増枠や非常勤対応なども阻止され、「未ゼミ学生」増加が放置されたという憶測が働くのだが。大体、1学年500人規模でゼミ開講数がそもそも25とか18とかだからゼミを開かない専任教員が相当数いたはずだし。

専任減少が理由だとのことだが、龍谷大学なら求人すれば専任補充は容易だから、学部学科での採用審査で何か事情があったか、大学・理事会が補充を認めなかったのか。仮に7人減ったなら設置基準を割り込みそうだが、教員数に相当余裕があったのか。

もうひとつありそうなのが、500人規模で25ゼミ、選択科目であったなら、過去から「未ゼミ学生」はもともとかなりたくさんいて、慢性化していたために教員サイドの認識では問題としての優先度はかなり低く、たまたま尖った学生たちが、何らかの刺激もあって運動を起こし、問題が表面化した、で、教員側との意識ギャップが大きく、学部・大学側が対応をミスしたという筋。

学部の教員集団(公的には教授会)の中で何か問題が起きていたか、統治できない状態になっていたか、あるいは提訴内容のように学部長・執行部が変になっていたか。大学(学長)側の対応も奇妙。理事会の変な意向もあったのかも。まあなんにせよ、理事会か大学か学部に何か事情があるのだろう。

それはそうとして、上記の大学からの質問内容が謎。「正式な」回答書が出てないのも謎。たとえ未公認集団からの要求であっても、正規の学生らがそれなりの規模の署名簿を出したのだから、重く見るべきだったのではと思う。ちゃんと誠実に対応していれば、要求を却下しつつも大事にはせずに済んだのではなかろうか。もちろんこの記事に書かれていないことも多いだろうと思うのだが。

京都新聞 2022年9月12日 6:00 岸本鉄平

 大学生が自らの「学習権」を掲げ、大学側に教育環境の改善を迫るケースが増えている。新型コロナウイルス禍でオンライン授業が主流となった際、全国各地の学生がSNS(交流サイト)を通じて対面授業の再開をアピールし、国会での議論につながった事例は記憶に新しい。京都市伏見区龍谷大学にも5年前、「ゼミ(演習)の開講数が少なすぎる」と大学側に是正を訴える学生がいた。彼らの思いは、キャンパスにどんな変化をもたらしたのか。

 「少人数制のゼミ教育を売りにしていながら、ゼミの数が少ないのはおかしくないか」。龍谷経営学部OBの会社員鯉沼志帆さん(24)=東京都=は、入学翌年の2017年にこんな疑問を抱いた。

 経営学部のゼミは2年後期に始まる。必修科目ではないものの、学部のホームページで「少人数のゼミを中心としたカリキュラムで、あなたの夢の実現をサポート」と宣伝され、入学生向けの書類でも「最も大学らしい授業形態」としてゼミの履修が推奨されている。

 ■未ゼミ生80人の学年も

 しかし、当時はすべての学生の希望に応えられるだけのゼミ数が用意されておらず、希望するゼミに入れなかったり、履修そのものを断念せざるを得なかったりする「未ゼミ生」が相次いだという。

 ゼミ開講数の推移を調べた経営学部の細川孝教授によると、17年度当時は退職教員の補充が進まず、ゼミ数が10年度の25から18に減っていた。この影響で2年生約500人のうち80人ほどが未ゼミ生になったという。

 幸い、鯉沼さん自身は希望するゼミに入ることができた。しかし、同じ学費を支払っているのに平等に学習機会を得られない同級生がいると思うと、もやもやは晴れなかった。「誰かが声を上げないと何も変わらない」。そんな考えに共鳴してくれた同級生の葛城輝さん(24)=京都市=らと署名活動を開始。327筆の署名とともに学長宛てに要望書を提出した。

 鯉沼さんらは要望書で「学生が学びたいことを学べないのは学習権の侵害に当たる」と主張。ゼミ開講数を増やすとともに、未ゼミ生の実態調査を実施するよう求めた。

 ■要望書に正式回答なし

 「何も間違ったことは言っていないし、事態は必ず好転する」。そう信じて疑わなかったが、大学からは「絶対的に適正なゼミ数を算出する方法を教えてほしい」「実態調査でどのような内容を把握する必要があると考えるか」といった質問書が送られてきただけで、それに返事をした後も正式な回答書が返ってくることはなかった。鯉沼さんは「自分たちにできることは全部やったつもり。解決できず、やるせない気持ちでいっぱいになった」と振り返る。

 鯉沼さんらの活動はこうして幕を閉じたが、その後も未ゼミ生問題はくすぶり続ける。

 経営学部4年の林新さん(22)=奈良県=は、2年前のゼミ選考で第一希望どころか第三希望までかなわず、これまで未ゼミ生として過ごしてきた。「ゼミって研究するだけの場所じゃない。先輩や同級生、先生たちとたわいもない話をしたり、将来の相談をしたり。大学の都合で自分だけがゼミというコミュニティーから排除されるのは理不尽だ」

 友人の経営学部4年宮里奏太さん(22)=大阪市=は林さんの苦悩を目の当たりにし、未ゼミ生がいなくならない現状を疑問に思った。そんな時、ある教員から「かつてこんな取り組みがあった」と鯉沼さんたちの話を聞いた。刺激を受けた宮里さんは周囲に声をかけ、先輩の意思を受け継ぐ形で大学宛てに要請書を作った。

 「(鯉沼さんらの要望書提出から)3年以上が経過しましたが、未ゼミ生問題はまったく解決されていません。(中略)すべての学生が平等の学習機会を得られる教育環境を実現してください」

 宮里さんらは、大学側と数回にわたって会談する機会を得た。そこで建設的な議論もできたといい「ゼミの数も増えてきていて、改善に向けて動き出しているように感じる」

 ■大きなレガシー

 「学習権を守れ」―。学生の手で5年前に掲げられたメッセージが、今も龍谷大のキャンパスに息づいている。鯉沼さんは後輩たちの姿にかつての自分を重ね「やってきたことは無駄じゃなかった。本当にうれしい」とほほ笑む。行動をともにした葛城さんも「最初は友人のために始めたことだったけど、それが後輩のため、大学のために変わり、最後は社会のためにつながった気がする。あの時の行動は、自分の人生にとって大きなレガシーになっている」と胸を張る。

 ■「コメントできない」

 龍谷経営学部の未ゼミ生問題をめぐっては、名誉教授の李洙任(リースーイム)さんが、未ゼミ生を救済するため自身によるゼミ開講を申し入れたにもかかわらず大学側が応じないのは不合理だとして、大学や学部長に損害賠償を求めた訴訟が京都地裁で係争中だ。龍大学長室は「(未ゼミ生問題については)裁判が行われているので、今は何もコメントできない」としている。


【’17.10.31_1840更新:ニュース】「ゼミ入れず 学生が救済申し立て」(NHK 関西のニュース) ~龍谷大学経営学部のケース~ - 仲見満月の研究室
https://naka3-3dsuki.hatenablog.com/entry/2017/10/30/202300


龍谷大「未ゼミ」問題 教授が大学を提訴 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20190112-J6CMW6JXEFJFLIBLYPFZ7QETFQ/

 龍谷経営学部で、一部の学生が少人数制の専門演習(ゼミ)を受講できない「未ゼミ」問題を解決するよう要望したのに、適切に対応されなかったとして、同学部の李洙任(リー・スーイム)教授(65)が11日、学校法人龍谷大学京都市)や同学部長らを相手取り、165万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。

 訴状などによると、経営学部では2年生からゼミを開講しているが、平成26年ごろから教員不足などを理由に開講数は年々減少。一部の学生が希望しても履修できない問題が生じているという。29年10月には、同学部の学生ら有志が、京都弁護士会に人権救済の申し立てを行った。

 李教授は、希望する全ての教員がゼミを担当できるようにすることなどを求めたが、学部長らは不合理な説明を繰り返し、ゼミの開講を拒否し続けたと主張している。

 提訴後、京都市内で会見した李教授は「学生たちがゼミを履修できないまま卒業していくのを食い止めるために提訴に至った」と話した。龍谷大は「訴状を確認していないので、現時点でのコメントは差し控える」としている。

ところで、「演習を履修できないのは学習権の侵害だ」という主張が法的にどう扱われるのかは知りたい。学部学生にとって演習は講義と異なる特別な価値を持つという認定は可能なのか。あるいは景表法の問題になるのだろうか。