asahi.com(朝日新聞社):ポートアイランド30年 「未来都市」に高齢化の波 - 社会

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http://www.asahi.com/national/update/0425/OSK201004250005.html

 神戸市沖の人工島「ポートアイランド」で24日、街開きから30周年の記念式典が開かれた。「未来都市」にひかれた団塊の世代が次々と移住してきた街も、いまは住民の2割が65歳を超え、日本一のマンモス小学校は児童数が激減。少子高齢化の波が押し寄せている。

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 ポートアイランドは、市の中心部・三宮から南へ2キロ。住宅のほか、企業や港湾施設など職住の立地をめざした443ヘクタールの人工島は、1980年3月に街開きした。

 山 海に呼びかけ 海 山を迎えて――。

 島内の市立港島小児童と先生が82年につくった和太鼓曲「港島太鼓」。六甲山系に住宅地を造り、削った土を運んで海を埋め立てた当時の様子を表現。「株式会社・神戸市」とも呼ばれた開発行政の歴史を象徴する曲だ。

 「ハイカラ好み、珍しいもの好き、未知への好奇心、挑戦」。81年の市広報誌で、作家の田辺聖子さんは「魅力ある未来都市」を生んだ神戸の気風をこうつづっている。矢田立郎市長は「人工島を造って人が住み、働く場も大学もある。非常に斬新な試みだった」と話す。

 最初に完成した日本住宅公団(現・UR都市機構)の賃貸住宅に移り住んだのは、200世帯余り。いまも島内に住む中辻恵造(えいぞう)さん(61)と、妻の沙千子(さちこ)さん(63)は当時を振り返る。

 「最初はまるでひょっこりひょうたん島。郵便ポストもなく、はがき1枚出すのに三宮までバスで出た。お店も行商だけでした」

 島の人口は3月末時点で1万5124人。阪神大震災が起きた95年の約1万7千人をピークに減少傾向に転じた。中辻さんらが入居した頃は新婚や働き盛りの世代が目立った街も、いまや5人に1人が65歳以上。91年に児童数1781人で日本一のマンモス校だった港島小は現在、575人にまで減った。

 少子高齢化や長引く不況は、島に影を落としている。4年前に進出したホームセンターは1年足らずで撤退し、大手スーパーは今年2月末に閉鎖。二つあった銀行の支店は2003年春までに撤退した。

 島の南側を新たに埋め立てた第2期事業は、08年度末時点の土地売却が2割にとどまる。06年2月に開港した神戸空港周辺の分譲地も、83ヘクタールのうち3ヘクタールしか売れていない。

 ただ、島の歴史のなかで着実に育ってきたものがある。

 「山も川もなく、神社も寺もない島で、ゼロから伝統と文化を作り上げた」

 こう語るのは自治会組織・港島自治連合協議会会長の安田登さん(75)。84年に協議会を設立して以来、会長として地域のきずなづくりに取り組んできた。毎夏、子どもたちが演奏を披露する「港島たそがれコンサート」や「港島杯ソフトボール大会」は約20年前から続く恒例行事だ。

 震災で大規模な液状化現象が起きた際には、民間マンションの敷地でも公共性の高い部分は住民の強い要望で市が修復することになった。地震の1週間後、物資不足に苦しむ他の地域に配慮して、自主的に市からの配給を返上したこともある。「結束力のあるポーアイだからこそできた」と安田さんは言う。

 06〜07年春にかけて神戸女子大、神戸学院大、兵庫医療大、神戸夙川学院大の四つの大学が進出。昼間人口は増えつつある。三宮と島を約10分で結ぶ新交通システムポートライナー」の乗客数は08年から2年連続で、81年の神戸ポートアイランド博覧会以来となる2千万人を突破した。

 82年から暮らす協議会事務局長の粟原富夫さん(56)は「私たちが住む古い街と、学生たちの新しい街を一つにすることが、ポーアイ再生の鍵になる」と期待する。(日比野容子)

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 〈ポートアイランド〉 神戸市が1966〜80年度、神戸港沖に約5300億円をかけて造成した443ヘクタールの人工島。2期事業は86〜09年度、南側の海上に約5200億円で390ヘクタールを埋め立てた。先端医療技術を中心とした企業誘致を進めている。

ポートアイランドのあゆみ

1966年 4月 建設事業着手
80年 3月 日本住宅公団賃貸住宅への入居開始
4月 幼稚園、小中学校が開校園
81年 2月 ポートライナー運転開始
3〜9月 神戸ポートアイランド博覧会開催
87年 3月 ポーアイ2期の埋め立て始まる
95年 1月 阪神・淡路大震災
2006年 3月 遊園地・神戸ポートピアランド閉園
08年 4月 次世代スパコン施設の建設開始
10年 2月 ポーアイ2期完成