公害関連リンク

日本の大気汚染の歴史 - 独立行政法人環境再生保全機構

■公害反対運動と大気汚染防止措置(1880〜1932年)
大都市で、工場、発電所等の立地等により大気汚染が進行。
大阪市内では市民の公害苦情が絶えず、大阪府が数次にわたり公害を規制する府達を発しています。1880年に発せられた府達で初めて「公害」という文字が使われていました。
 時代が下って1927年に発足した大阪都市協会煤煙防止調査委員会によって、ばい煙に関する被害調査、ばい煙防止方法の調査研究が進められ、1932年には、日本最初の煤煙防止規則(大阪府令)が制定されるに至りました。しかし、この規則も第2次世界大戦により十分な効果を発揮できないまま戦後を迎えることとなりました。

35年史「国立環境研究所−35年の活動の記録」 | 国立環境研究所
白い霧とのたたかい

四日市のような、石油化学コンビナートの既設地では、「公害は発生源で解決する」ことであり、公害によって被害を受ける住民が、発生源で解決されるよう、市、県、国、企業をしてそうさせる。つまり「公害反対運動は、住民闘争で進める」ことだと考えます。