江戸時代の商人は成功するより失敗する方が多い存在だったという話

原口 泉 (著)『維新経済のヒロイン広岡浅子の「九転十起」―大阪財界を築き上げた男五代友厚との数奇な運命』4-5頁

たまたま、日本近世史の優れた研究家である山室恭子氏が、最新の研究で、江戸時代の商人というものは、栄枯盛衰定まらず、成功するより失敗することのほうが多い存在だったことを、四千軒の商家の統計処理で明らかにされました。
江戸商人の中で、三井・住友は例外的商家と考えたほうがよさそうです。
山室氏は、商家の存続年数は平均15.7年であったことを示されています。だとすれは、代々暖簾を受け継ぐことがいかに難しいかということです。
これまで江戸時代の士農工商は、身分や財産を親から子へ世襲するという血縁の原理で継承させてきたと考えられていました。ところが、商人株の相続は極めて少なく、他者への琴線による譲渡がほとんどであったことも明らかにされています。

ここで上がっている山室恭子氏の最新の研究とは、おそらく次の書籍だろう。
Amazon.co.jp: 大江戸商い白書――数量分析が解き明かす商人の真実 (講談社選書メチエ): 山室 恭子: 本
このアマゾンの書評コメントで星1つと酷評しているものがある。本書は武士階級などの人口を無視しており、全くめちゃくちゃだという。この評価が上記引用部分に当てはまるのかは、まだ山室氏の著作を読んでいないので分からない。
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ところで、上の原口氏の叙述を読んで以下を想起した。
新雅史「1-4 近代家族と商店街」『商店街はなぜ滅びるのか』光文社新書26-30頁

……しかし、自営業の家族経営は、決して「遅れ」ではなく、これまでの通年に反して、雇用者家族と同じく「近代家族」によって支えられていた。
……
この近代家族によって担われたことが、商店街の凋落を決定づけた真の要因であるとわたしは考えている。

社会学者の中野卓が明らかにしたところでは、近世(江戸期)の商家は、家業経営であったものの、自分たちが営んでいる店を後世に残すという目的意識がきわめて強かった。だから、もし、跡取りがいなかったり、家族成員が跡目にふさわしくなければ、家族以外の人材を積極的に活用していた。
……
近世における商家は、典型的な「イエ」であった。すなわち、それは家長とその親族、そして住み込みの奉公人たちで成り立っていた。もし経営体の存続が危機になれば、「非親族的家構成員」(中野卓)である奉公人が経営を引き継ぐことも決して珍しいことではなかった。
だが、近代の小売商は、「イエ」の規範ではなく、「近代家族」によって担われていた。つまり、20世紀以降の小売商は、近代家族の規範のもとで事業をおこなったために、近世の商家に比べてはるかに柔軟性のない組織になった。

ここでは、「自分たちが営んでいる店を後世に残すという目的意識がきわめて強かった」とされている。しかし、山室氏によれば、現実的にはその「目的意識」はほとんど実現できない目標であったということになろうか。