原口 泉 (著)『維新経済のヒロイン広岡浅子の「九転十起」―大阪財界を築き上げた男五代友厚との数奇な運命』

広岡浅子の嫁ぎ先:加島屋

広岡浅子は京都の豪商三井家に生まれ、大坂の両替屋「加島屋」に嫁いだ。加島屋は大名貸しで東の鴻池、西の加島屋と並び称される豪商だったという。

加島屋のその後

加島屋は加島銀行を設立したが、加島銀行は昭和恐慌時に破綻したという。
この加島屋の流れに立命館大学創始者である中川小十郎が関わっていたらしい。

中川小十郎 - 文部官僚、立命館大学創立者加島銀行理事を務めた。
加島屋 (豪商) - Wikipedia

尼崎紡績

広岡浅子の夫は信五郎というが、彼は尼崎紡績(ユニチカ)の初代社長だった。

大同生命

加島屋は現在の大同生命の源流となった。
1895年「真宗生命」が名古屋市に設立されるも経営危機に陥る
1899年9代目広岡久右衛門が経営を引継ぎ「朝日生命」と改称する。広岡家は本願寺門徒総代格だったために救済を依頼された。
1902年朝日生命、護国生命、北海生命の3社が合併、大同生命となる。初代社長は広岡久右衛門

真宗生命:仏教系の生命保険会社という存在

明治初期に多数の宗教団体が生命保険会社を設立するブームがあった。

真宗信徒生命保険という、真宗生命と名前が似ているが、別の生命保険会社もあった。
思いつくまま 第315回・旧真宗信徒生命保険本社屋(西本願寺伝道院)

参考

生命保険協会「生命保険会社変遷図

小林惟司「CiNii 論文 -  明治期の仏教生命保険事業--とくに明教保険株式会社をめぐって」生命保険文化研究所所報 (49), p57-98, 1979-12(論文PDF。小林氏は当時明治生命企画部次長。)

深見泰孝氏(駒澤大学)の一連の研究
CiNii 論文 -  仏教系生命保険会社の成立および破綻理由について:−佛教生命,明教生命,六条生命の分析から−, 保険学雑誌 2011(613), 613_129-613_148, 2011

CiNii 論文 -  仏教系生保の破綻について:−日宗生命破綻を中心に−, 保険学雑誌 2010(610), 610_17-610_36, 2010

経営者の教団内での地位の高さが,彼らの規律づけを困難にし,一般の事業会社とは異なり,出資比率の多寡だけでなく,宗教的な地位や教団内での地位が発言力に影響していたことも破綻の一因であると結論づけた。

CiNii 論文 -  明治期における仏教系保険会社の経営実態, びわこ経済論集 6(1・2), 1-17, 2008-03

CiNii 論文 -  仏教系生命保険会社の生成について:―真宗信徒生命を中心に―, 保険学雑誌 (602), 1-30, 2008

真宗信徒生命に関与した本願寺の『定期集会筆記』という議会議事速記録を用いて,真宗信徒生命の設立理由を検討した。その結果,キリスト教に対する危機感を幕末・維新期から醸成していた本願寺教団が,外国人の内地雑居を目前に控え,キリスト教対策の慈善事業費を調達することを目的として設立された会社であることを明らかにした。そして,その中心には,赤松連城や島地黙雷といった留学経験のある役僧がいたことが明らかとなった。

こういう研究もある。
CiNii 論文 -  地方中小紡績会社の破綻に関する研究序説 : 平安紡績を事例に, びわこ経済論集 7(2), 1-14, 2009-03