木下明浩(2006)「三陽商会におけるブランドの発展」『立命館経営学』第44巻第5号93-119
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1942年12月,吉原信之は,主に電気関係各種工業用品ならびに繊維製品の製造販売を目的として東京都板橋区に,三陽商会を個人経営にて開業した。1943年5月,資本金5万円にて(株)三陽商会を設立し,工作機械工具の修理加工,販売を開始する。三陽の由来は,「三井」「三菱」など有力財閥の「三」と,創業者の父「吉原陽」の「陽」から来ている。
1945年8月,工場を売却し,本社を板橋から銀座営業所に移転した。この頃より,主要業務をレインコートの販売に変更している。終戦後,戦時中の暗幕(人絹に油引きした素材)および風船爆弾用素材(和紙に油引きしたもの)を利用し,レインコート,子供用マントを作って市場に出した。統制外のスポンジゴムを扱ったりしながら,オイルシルク(絹に油引きした素材)を日本塗装布(株)より仕入れて,レインコートの製造販売を続けた。
1949年5月,第一通商(株)(現三井物産)より全国エキスポートバザー用レインコートの縫製を大量に受注する。同時に,日本ゴム工業(後に岡本ゴム工業と合併),藤倉ゴム工業(株)等の関係を通じて,急速にレインコート業界の大手として業界に進出した。日本ゴム工業がレインコートの製造,三陽商会が販売という形でレインコート事業を拡大していった。
その時,日本ゴム工業の紹介でデザイナーの吉田千代乃を紹介してもらい,レインコート業界で初めてデザイナーを起用した。雨合羽という意識が支配的であった時代にいち早くデザイン面で他社をリードすることができた。
- 板橋区での開業は当地の機械工業集積とどう関係したか。
- 戦時統制時に開業している。軍需生産とどう関係したか。
- 終戦直後に銀座に移転した理由は何か。
- 暗幕と風船爆弾用素材、オイルシルクはいずれも油引き素材だが、このことは戦中の事業と関係するのか。
- 暗幕と風船爆弾用素材は戦時中の自社在庫の転用だったということはないか。
- なぜレインコート(雨合羽)だったのか。
典拠