「希望は、戦争」ですらないのかもしれない

フィレンツェ最富裕層、600年前と変わらず - WSJ(2016 年 5 月 24 日 06:45 JST

もとはこれらしい。
What’s your (sur)name? Intergenerational mobility over six centuries | VOX, CEPR’s Policy Portal

調べたのは1427年の資料。
マキアヴェッリが生まれたのは1469年。コジモ・デ・メディチが1434年というから、フィレンツェ繁栄の時代。
フィレンツェは町自体が大規模な変化を被ってないからあるいは…と思わなくもないが、幾度も戦乱には巻き込まれているし、イタリア自体が統治体制の大変化を経験している。
それにもかかわらずこれほどの長期にわたる階層の固定化があるとすれば……もっとも、富裕層以外の階層のことはよく分からないのだが……とても興味深い。

記事中に言及があるグレゴリー・クラークの著書とはこれのことだろう。
格差の世界経済史 | グレゴリー・クラーク, 久保恵美子 | 本 | Amazon.co.jp
根井雅弘の書評:格差の世界経済史 グレゴリー・クラーク著 「社会的流動性」の低さを実証 :日本経済新聞(2015/7/13 13:30)[日本経済新聞朝刊2015年7月12日付]

中国が共産主義体制になって中・上流層の多くが処刑・追放されたにもかかわらず、社会的流動性は、社会的混乱を経験していない他の国々と同様に低かった。中国に科挙の制度があり、実力主義のようにみえた時代でも、姓の分布を調べると、科挙の合格者の間ではエリート層の姓の継続率が高かった。
日本の士族は1871年華族は1947年に法的な特権を失ったにもかかわらず、現代日本でもかつての士族や華族の子孫がエリートとしての地位を驚くほど維持している……。
もちろん、著者は低い社会的流動性が厳密な階級社会を意味するわけではないと、ことわっている。「世代間相関度が〇・七五であっても、一般化した社会的地位のばらつきの五分の二以上は依然として予測不可能」だからだ。
確かに100年程度ではせいぜい5世代ほどしか経過しないので、極端な富の再配分を経なければ相関性は高いままかもしれない。それでもフィレンツェの600年は驚異的だが…。